2023年7月3日、時事通信によって行われた自民党の「青山繁晴」さんのインタビューが公開され、中国で1日から施行された改正反スパイ法に懸念を示していることがわかりました。
「青山繁晴」さんの経歴やプロフィールを調査してみて、兵庫県の出身だということや共同通信社の記者をしていたのだということが判明しました。
そんな青山さんの妻や子供、実績や評判と出身校について調べてみました。
今回は「青山繁晴」さんの以下の情報について調査したので皆様へお届けします。
・青山繁晴の妻(嫁)はいるの?結婚馴れ初めは?
・青山繁晴の息子はいるの?
・青山繁晴の実績は?評判は?
・青山繁晴の出身大学・高校はどこ?偏差値は?
青山繁晴wiki経歴
【次回配信のお知らせ】
7月7日(金) 8:00〜9:30
論客:青山繁晴
MC :田中大貴https://t.co/j6eUuBEGmGぜひご視聴ください!
スタジオ前にてご観覧も可能です!#帰ってきた虎ノ門ニュース #虎ノ門ニュース #虎8#青山繁晴 pic.twitter.com/UzyRQsNb5N— 帰ってきた 虎ノ門ニュース【公式】 (@toranomon8) July 3, 2023
青山繁晴さんの経歴は以下の通りです。
1952年 0歳
兵庫県にて誕生する。
1979年 26歳
共同通信社に入社。徳島支局へ赴任。
1997年 45歳
共同通信社を依願退職。
1998年 46歳
株式会社三菱総合研究所に入社。
政策・経済研究センターにて国家戦略立案の専門研究員となる。
2000年 48歳
小説第1作「夜想交叉路」で第90回 文學界新人賞にノミネートされる。
2002年 50歳
三菱総研時代の仲間数人と独立して、有限会社独立総合研究所を設立。代表取締役社長兼主任研究員に就任。
経済産業省の総合資源エネルギー調査会の専門委員に任命される。
2016年 64歳
、第24回参議院議員通常選挙に自民党公認で比例区から出馬する事を表明。初当選を果たす。
兵庫県に生まれた青山さん。父親の仕事の都合で、高校卒業までは神戸で過ごします。
共同通信社に入社後は徳島県警の事件記者を担当。京都支局へ移動した後も京都府警のキャップを務めますが、その後京都府政を担当し、大阪支局へ移動後は証券、繊維、財務、金融業界の担当となります。
1987年に東京本社に異動した時には政治部に勤務。首相官邸の記者クラブで総理番を担当していました。
青山繁晴wikiプロフィール!
6月12日(金)ニュース
▼東京アラートが解除。ステップ3に移行
▼二次補正予算きょう成立へ
▼政府が海外の在留邦人に10万円の給付検討
▼「共同通信社」
▼拉致問題特別委員会、きょう開催へ
コメンテーター青山繁晴#cozy1242 #radiko pic.twitter.com/VmVwh4hu6X
— ニッポン放送 飯田浩司のOK! Cozy up! (@cozy1242) June 11, 2020
青山繁晴さんのプロフィールは以下の通りです。
名前 | 青山繁晴 |
読み方 | あおやましげはる |
生年月日 | 1952年7月25日 |
年齢 | 70歳 |
出身地 | 兵庫県 |
学歴 | 早稲田大学政治経済学部 |
職業 | 政治家、作家 |
記者として20年、研究所の職員として20年という経歴を持ったうえで政治家となった青山さんですが、割と破天荒な方のようで共同通信社への就職活動では当初、年齢制限によって断られていたところを何十回もコールバックして願書を取り寄せ、三次面接と最終面接の場それぞれで大ゲンカした挙句なぜか合格したと言います。
父親が家業を継ぎ社長に就任していたことから経済的な苦労とは無縁の方かと思いましたが、18歳で独立していたため家庭教師とスキー場講師のアルバイトで生計を立てていたそうです。
青山繁晴の妻(嫁)はいるの?結婚馴れ初めは?
青山繁晴さんの妻と結婚の馴れ初めについて調査してみました。
青山さんは1979年に結婚されています。
妻は青山千春さんという方で、水産学の研究者。
大学院在学中だった1978年に、練習船海鷹丸三世で晴海埠頭から日本一周航海実習へ出た千春さん。その様子が産経新聞に掲載され、当時アルペンスキーで負傷した両膝を療養中だった繁晴さんがその記事を目にしました。千春さんの事を知った時「この人だ」と思ったという繁晴さん。
加山雄三さんの学内コンサートのチケット販売を請け負っていたことで知った千春さんの自宅へ電話。この時のチケット購入がお二人の初対面でした。
青山繁晴の息子はいるの?
青山繁晴さんの息子について調査してみました。
青山さんには息子さんがいて、お名前は大樹さん。
2002年に青山さんが立ち上げた独立総合研究所を2016年に退職した際、後を継ぐ形で代表取締役に就任しています。
2021年には妻の千春さんが代表取締役に就任しています。
青山繁晴の実績は?評判は?
青山繁晴さんの実績と評判について調査してみました。
「政治献金を1円も受け取らず、政治資金集めパーティも一切開かず、団体の支持は受けず、後援会を作らず、後援会長を置かず、完全無派閥」 という新しい国会議員の生き方を貫いている青山さん。
主に資源エネルギー政策に携わってきた中で経済産業省が自前資源を開発しようとし始めたり国益を考える政治家団体が発足したりと成果を実感していた様子。
そこで一期6年間で辞めるはずだった政治家を続けることにしたのだそうです。
ここからは6年間で出来なかったこと前へ進めていきたいと発言しています。
政治資金集めのパーティーは失言の温床、後援会との間はずぶずぶ、というのはこれまでの経緯から多くの国民が感じ取っている構図の一面でもあったりするので、上記のような姿勢を最初にきっぱりと打ち出した青山さんのことは信頼しやすい感じがしますね。
青山繁晴の出身大学はどこ?
青山繁晴さんの出身大学について調査してみました。
1971年に慶応義塾大学に入学した青山さん。ですが、1974年に中退。改めて早稲田大学の政治経済学部を受験し合格しています。
慶応では文学部に入学しているので、途中で学びたいことが変わったのでしょうか。
どちらも有名大学なのが凄いところですね。
青山繁晴の出身高校はどこ?偏差値は?
青山繁晴さんの出身高校と偏差値について調査してみました。
青山さんが通っていたのは淳心学院高等学校。
完全中高一貫の私立の男子校で、青山さんも中学からこちらの学校に通っていました。中学入試の際の偏差値は49~57となっています。
青山繁晴wiki経歴プロフィールまとめ
今回は「青山繁晴」さんの以下の情報について調査したので皆様へお届けしました。
・青山繁晴の妻(嫁)はいるの?結婚馴れ初めは?
・青山繁晴の息子はいるの?
・青山繁晴の実績は?評判は?
・青山繁晴の出身大学・高校はどこ?偏差値は?
いかがだったでしょうか?
元々政治家としての活動は6年間しかやるつもりじゃなかったと語る青山さん。
現職として作家や客員教授、有志によるゼミの講師などもしている青山さんにとって、肩書や収入よりもその6年間で何ができるのか、が何より重要なのでしょう。
それが本来の姿と言えばそれまでですが、国民の代表という形であるだけに付随する利権も大きくなってしまう政治家という職業。
青山さんのように派閥を持たず、政治資金は1円も受け取らず、といった清廉な態度を前面に押し出せる政治家がもっと増えてくれたらいいのに、と個人的には思ってしまいます。
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