2020年12月27日のフジテレビ系「ザ・ノンフィクション」に熱血和尚こと故・廣中邦充さんが自ら営むお寺で1996年頃から20年にわたり1000人の子供を構成させ、注目されていた”平成の駆け込み寺”について紹介されます。
熱血和尚こと廣中邦充さんの経歴やプロフィールを調べてみると、様々な不良少年少女を招き入れる一方で、そこには彼の家族(嫁・息子)の存在もいたようなのです。
また、過去2019年に同番組に主演していたショウとタクマについても触れるようなので、現在彼らはどのようになっているのでしょうか?
今回は、熱血和尚こと廣中邦充さんの以下の情報をお届けします。
・ご家族(嫁や息子さん)について
・収入源はどこから?なぜ養えるの?
・教え子ショウとタクマについて
廣中邦充(熱血和尚くになかひろみつ)の経歴
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廣中邦充さんの経歴は以下の通り。
1950年 0歳
愛知県岡崎市真福寺町で西居院住職の次男として生まれる
1960年頃 10歳頃
少年時代は地元ではかなりのワルで何度も警察の世話になっていたようです。
中学に上がったころには、長ランにラッパズボンという服装で地元でもかなりのヤンキーだったらしく何度も警察のお世話になっていたそうです。
1966年頃 16歳
高校時代に無期停学が明けた直後に暴力事件を起こし退学になりそうな状態だった時に、若い男性教師が職員会議で泣きながら土下座をしてくれ廣中邦充さんを庇ってくれたのがきっかけで更生したようです。
それから廣中邦充さんは男性教師との家に1ヶ月間住み込み、真剣に向き合ってくれることから更生し、大学受験を目指すようです。
もしかすると、平成の駆け込み塾もこれがきっかけかもしれませんね。
1969年 19歳
大正大学大正大学仏教学部へ入学する。
1973年 23歳
ソニーへ入社し、販売会社へ出向し、そこで全国トップの営業成績を記録した。
そこから退社後は独立して総合学習塾など複数の企業を経営した。
1990年 40歳
二十代目住職であった父親が病気で倒れたため、廣中邦充さんが二十一代目住職に就任しました。
経営していた会社はどうしたのでしょうか?
1996年 46歳
20年以上にわたり自らが営む寺で、心の問題を抱えた少年少女達を無償で預かるようになった。
延1000人くらい少年少女を更生させて、平成の駆け込み寺と呼ばれます。
ご長男の通われている高校のPTA会長をやっていた頃、学校自体があまりにも退学者が多かったらしく、事情を聞くと子供達の家庭環境に問題があることが発覚し、そのまま見ていられなくなり、「家に来い」と声をかけて一緒に暮らし始めたことがきっかけだそうです。
2012年 62歳
肺がんが見つかるが、治療を続けながら全国を飛び回った。
2019年 69歳
永眠。68歳没。
住職になる前の経歴が素敵ですよね。
ソニーへ入社からの複数の会社を経営ってどんだけハイスペック?って思っちゃいますよね。
また、色んな経験をしている廣中邦充さんだからこそ、少年少女の心に響くのではないでしょうか。
廣中邦充(熱血和尚)のプロフィール
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名前 | 廣中邦充 |
読み | ひろなか くにみつ |
生年月日 | 1950年8月28日 |
年齢 | 69歳で永眠 |
出身地 | 愛知県岡崎市真福寺町 |
学歴 | 大正大学仏教学部 |
職業 | 僧侶 |
前職 | 経営者 |
廣中邦充(熱血和尚)の嫁・妻は?
廣中邦充さんの妻は、待子さんです。
廣中邦充さんと待子さんは実は中学生時代からの同級生であり、ヤンキーから恩師のおかげで更生するところも間近で一緒に過ごしていたことになります。
居場所がなくなった子供の気持ちがわるのか、廣中邦充さんと一緒に子供のお世話をしていて、主に食事係だそうです。
さらに待子さんは普段は看護師として働きながら大勢の子供を見ていたのです。
廣中邦充(熱血和尚)の子供(息子・長男)は?
廣中邦充さんには長男がいらっしゃいます。
1996年頃に長男の高校のPTA会長になっていたことから42歳らへんだと推測します。
現在、廣中さんの後を継いで西居院で住職をやられています。
廣中邦充(熱血和尚)の収入源は?なぜ養えるの?
廣中邦充さんは年に200回行われる講演や説教を精力的に行っており、その講演料や謝礼、本の印税などで賄って子供達の食費は全て寺が負担していたそうです。
肺がんが発病しても子供たちのために日本中を飛び回っていたようです。
それでも足りなかったようで、普段は看護師として働いている奥様である待子さんの給料からも補填していたようです。
廣中邦充(熱血和尚)の教え子のショウの現在は?
番組が追っていたのが11年前でその当時が13歳ということから24歳になっていることでしょう。
ショウは太陽発電の営業をやっているようでいつか起業したいと言う感じで立派に育っていました。
廣中さんのお葬式には仕事が忙しくて駆けつけられなかったようですが、今でもしっかりと恩人だと感じているようです。
廣中邦充(熱血和尚)の教え子のタクマの現在は?
ショウの兄貴分だったことから25歳以上だと推測可能である。
彼は福岡県で内装業の職人を目指しながらも社会人サッカー(GK)を続けていました。
廣中さんが亡くなられたあとのインタビューで誰かの役に立ちたい!まずは一人!としっかり宣言していました。
素敵な男性に育っていましたね。
まとめ
今回は、熱血和尚こと廣中邦充さんの以下の情報をお届けしました。
・ご家族(嫁や息子さん)について
・収入源はどこから?なぜ養えるの?
・教え子ショウとタクマについて
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