「建築界のノーベル賞」と言われるプリツカー賞の2024年の受賞者に「山本理顕」さんが選ばれました。
「山本理顕」さんの経歴やプロフィールを調査してみて、中国の出身だということや多数の受賞歴を持つ建築家なのだということが判明しました。
そんな山本さんの妻や子供、出身校や事務所について調べてみました。
今回は「山本理顕」さんの以下の情報について調査したので皆様へお届けします。
・山本理顕の妻(嫁)はいるの?結婚してるの?
・山本理顕の子供はいるの?
・山本理顕の出身大学・高校はどこ?最終学歴は?偏差値は?
・山本理顕の設計事務所はどこ?
山本理顕wiki経歴
【米プリツカー賞 山本理顕氏が受賞】https://t.co/xk9dzWOYJ1
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) March 5, 2024
山本理顕さんの経歴は以下の通りです。
1945年 0歳
中国・北京にて誕生する。その後、横浜で育つ。
1968年 23歳
日本大学理工学部建築学科を卒業。
1971年 26歳
東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了。
その後、東京大学生産技術研究所原宏司研究室の研究生となる。
1973年 28歳
山本理顕設計工場を設立。
2002年 57歳
工学院大学教授に就任(2007年まで)。
2011年 66歳
横浜国立大学大学院Y-GSAの教授に就任。
2018年 73歳
名古屋造形大学学長に就任(2022年まで)
2022年 77歳
東京芸術大学客員教授に就任。
中国の北京で生まれたという山本さん。
戦争終結の2年後、2歳の時に北京から引き揚げてきて、横浜で育ちます。
母親は薬剤師だったそうですが、父親が引き上げてきてすぐ結核で亡くなっていて、山本さんと母、弟、祖母、叔母の5人を母親が1人で働いて養っていたと言います。
山本さんが建築業界を志したのは、建築土木が最大の花形だったから。
東京オリンピックの開催もあり、現在のITに匹敵するくらい、日本の成長を支えていたもので、そのため建築学科に進学。
その後建築の世界を一筋に歩んでいます。
山本理顕wikiプロフィール!身長は?
【2024プリツカー賞に山本理顕が選出】
「山本は公的領域と私的領域の間に親和性を確立し、アイデンティティ、経済、政治、インフラ、住宅システムの多様性にもかかわらず、調和のとれた社会を促す。」https://t.co/2krEmOg2XU#PritzkerArchitecturePrize #RikenYamamoto #Pritzker2024 pic.twitter.com/0RcZxo1ybA— japan-architects (@JapanArchitects) March 5, 2024
山本理顕さんのプロフィールは以下の通りです。
名前 | 山本理顕 |
読み方 | やまもとりけん |
生年月日 | 1945年4月15日 |
年齢 | 78歳 |
出身地 | 中国・北京 |
学歴 | 東京藝術大学大学院 |
職業 | 建築家 |
身長などは特に明記されてはいないようですね。
建築家の方という事で、ご自身よりも作品にスポットが当たるため、特に取り上げられることもないようですが、ご本人にお会いしたことのある方は「思ったよりも小柄」という感想を抱いたそうです。
ご本名は「みちあき」さんというのだそうですが、確かにぱっと見「りけん」さんと読んでしまいますね。そちらの方が通りがいいということでしょうかね。
山本理顕の妻(嫁)はいるの?結婚してるの?
山本さんが結婚されているかどうかについては、情報がありませんでした。
コロナ禍で住宅の在り方というのが見直されていた頃にインタビューに答えられていますが、世の中の様子については語っていてもご自身のご家庭の事については話されていなかったので、結婚されていないのかもしれませんね。
山本理顕の子供はいるの?
山本さんのお子さんについても上記同様、情報はありませんでした。
よくモノづくりをされる方にとっては作品が我が子だと言いますが、山本さんの場合、教育の現場にも長く携わっておられるので、生徒たちが子どものようなものだったりするのかもしれませんね。
山本理顕の出身大学はどこ?最終学歴は?
山本理顕さんの出身大学と最終学歴について調査してみました。
山本さんが通っていたのは日本大学。理工学部建築学科を卒業しています。
その後東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻を修了。さらに東京大学大学院の研究生をしていました。
戦後という大変な時代に生まれ育った山本さんですが、大学院に進むころには学生運動が勃発。
それは藝大でも繰り広げられていて、所属していた研究室の先生が生徒を懐柔する側の中心人物。
対して山本さんは反撃する側の中心だったと言います。
そのため、なぜ今まで反抗していた当のところに就職するんだ、という思いがあり研究室へと進みます。
その研究室の主催者である原氏と色々な建築の話をする最初の場所で、建築を現実のものとして考えるようになるのはここからだったそうです。
山本理顕の出身高校はどこ?偏差値は?
山本理顕さんの出身高校と偏差値について調査してみました。
山本さんが通っていたのは関東学院中学高等学校。偏差値は51~58となっています。
横浜バプテスト神学校が起源の完全中高一貫校です。
生徒のほとんどが大学や専門学校への進学を志しますが、系列校である関東学院大学への進学数はそれほど多くないのだとか。
山本理顕の設計事務所はどこ?
山本理顕さんの設計事務所について調査してみました。
山本さんは1973年に山本理顕設計工場を設立しています。
山本理顕設計工場は、山本さんが育った場所、横浜に構えられています。
山本さんの建築は「ガラスと鉄板の入れ子構造からなるファサード」が特徴とされていますが、この特徴はご自身の事務所にも活かされているようですね。
山本理顕wiki経歴プロフィールまとめ
今回は「山本理顕」さんの以下の情報について調査したので皆様へお届けしました。
・山本理顕の妻(嫁)はいるの?結婚してるの?
・山本理顕の子供はいるの?
・山本理顕の出身大学・高校はどこ?最終学歴は?偏差値は?
・山本理顕の設計事務所はどこ?
いかがだったでしょうか?
原研究室に入った後、集落調査を命じられた山本さん。
取材費として100万円の出資を受けますが、十数人のチームのためそれでは足りず、みんなでアルバイトをして更なる資金を調達。
そうして巡った集落調査で台所が1住宅に1つではない家や、どこまでが1つの家かわからないといった場所を見ることで、日本とは違う家の概念というものに触れます。
家というのは1住宅=1家族ではなく、様々な単位から考えられる。
そんな原さんの体験が、今の作品作りに息づいているようです。
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